《吾妻稲荷神社》( あづまいなりじんじゃ)(境内社)
農耕民族にとって稲は最も大切な食物であり、従って稲そのもの或いは稲をはじめ五穀を守護
する神の存在が考えられる訳であり、ここに倉稲魂命となる。京都の伏見稲荷大社をはじめとする
稲荷神社は主として祭神に倉稲魂命<宇迦之御魂神(記)>を仰ぐ。
※<稲荷信仰>京都伏見稲荷大社主祭神である宇迦之御魂神の信仰である。
宇迦之御魂神は、五穀をはじめすべての食物や蚕桑の事を司る神で、「稲生り」が約音便により
「イナリ」となったが、その神像が稲を荷っているところから「稲荷」の字を充てたと言われている。
わが国は往古から農業国で、深く農耕神を信仰し、これが自然に稲荷信仰と結びついたと考えられる。
中世から近世にかけて工業が興り、商業が盛んになると、稲荷の神格も農耕神から殖産興工業神・商業
神・ 屋敷神と拡大し、「衣食住の大祖、万民農楽の神靈」と仰がれ、農村だけでなく、大名・町家の
随所に稲荷神が勧請されるに至った。
因みに稲荷神の神使(お使い)をキツネとする民間信仰は中世にまで遡り、これは宇迦之御魂神の一名
を「御饌津神」(みけつかみ)というので、キツネの古名のケツとの音通から「三狐神」(みけつかみ)の
字を充てたことに基づく。
仏家では稲荷神を経典中の「茶枳尼天」(だきにてん)に習合して祀り、狐に付会しているが、これら
は本来的な稲荷信仰とはいいがたい。
稲荷神社では、二月の最初の午の日を祝う「初午祭」が執り行われるが、これは、伝えによると、
京都伏見の稲荷神社の祭神が、山上三ケ峰にお降りになったのが和銅四年(711)二月十一日(又は九日)といい、
その日が初午であったから縁日にしたと言う。
※『境内社』とは…。 神社の境内に本社とは別に祀られている社のことで、別法人でなく、本社
の管理をうけ、氏子なども特別にないのが普通である。
中世以降、熊野・八幡・天神・祇園・神明等に対する信仰が盛んになると共に全国の有名神社が
次第に境内に勧請されて増加し、これが現在もおよそ踏襲されている。 |